2015年9月20日日曜日

「戦争で死ぬ、ということ」(島本慈子)を読んだ。

「戦争で死ぬ、ということ」(島本慈子)を読んだ。

昨日、2015年9月19日に、安保法制が可決された。悪い意味で歴史に残る日にならなければいいがと思う。今回も、平和と戦争の話をたくさんの人が語った。それを読み、聞きしながら、いくつかの疑問がわいた。子供の頃からいろいろ教えられてきたのにな。いまだに良くわかっていない。

一つ目の疑問は、パワーバランスという手段の有効性だ。

相手がナイフを持っている時に、素手では交渉にならないだろう。相手がピストルを持っている時に、ナイフでは交渉にならないだろう。そういう考え方だが、それには、どれほどの有効性があるのだろうか。特に今問題にしている、国の集まり、対、国の集まり、という大きなレベルになった時に役に立つ考え方なんだろうか? 過去、パワーバランスのおかげで、戦争が回避された、という事実があるのだろうか。日米安全保障条約が、戦後の日本の平和を守ってくれた?のだろうか。中国はなぜ軍備を拡張しているのだろうか?

もう一つの疑問は、賛成・反対両方の人たちが共有できるポイントはなんだろうか、という点だ。

ハナから噛み合っていない印象を持ったので、それでは建設的な議論は難しそうだなと。憲法に合っているかどうかは大事なことだが、そもそも賛成・反対の両方の意見の人たちが一緒に目指すべきゴールは共有されているのだろうか、という疑問である。

仕事の忙しさが一段落したここ数日、これら2つの疑問に対して、モヤモヤとしていた。その疑問に、一つの大事な視点を与えてくれたのが、この「戦争で死ぬ、ということ」という新書である。2006年出版で、古本屋で安く手に入れた。私と同じような疑問を持っている人にとっては必読だと思う。ただ解答を与えてくれるわけではない。

まず、再確認したのは、戦争では普通の人々が殺されるということだ。それはダメだよね。大昔の侍の決闘みたいなイメージをもってしまうことがあるけど、それは間違いだ。もしくはガンダムとか、スターウォーズみたいなカッコ良い戦闘シーンを思い浮かべてしまうけど、これも間違い。弾にあたるのは、爆発で吹き飛ぶ金属の破片に貫かれるのは、私や妻や娘だということだ。

だから戦争になったらアウトである。いかに戦争の種を無くすか、が私達が目指すゴールである。

次に、戦争はある時、明確にスタートするのではなくて、徐々に身動きの取れない状態になっていく、窮鼠が猫を噛まざるをえないようになっていく、ということである。だから難しいんだな。関連して、実際に身近に死を経験しない限り、戦争を実感することができない、というのも難しい点だ。当時、爆撃機に同乗した記者の感想や、太平洋戦争開始のころの国内の人々の感想が、笑えるほど脳天気で怖いなと思う。

昨日もシリアがISの拠点へ空爆を何十回もやった、というニュースが流れていた。こういった話が、あまりに日常茶飯に報じられるので、私は麻痺している。空爆がなされるとどういうことになるのか、空爆された人々はどういう目にあって、どう考えるのか、それを想像する力が無くなっている。

70年前の戦争の時にも、私よりすごく賢い人達がたくさんいて、みな色々と悩んだのだろうと思う。それでも戦争は回避できなかった。いま、私の目の前にはいろんな材料が並んでいて、大量の情報があるのだけれど、戦争を避ける良い方法が見つからない。虚しい感じがする。でも、誰か考えて、といってもどうしようもない。私もダメもとで考え続けるしかない。うむ。

追伸
以下の記事はわかりやすくて参考になった。勉強しないとな。

2015年8月7日金曜日

ジョン・マクタガート「時間の非実在性」と生物の生存戦略との関連について

 娘から教えてもらって調べてみた。マクタガートという人が昔(1908年)に書いた論文の話であった。最初は何のことを言っているのかわからなかったが、色々調べてみて、最終的には入不二氏による、以下のメモを読んでやっとわかった。
 私が混乱した理由は、自分勝手に解釈している人が多数いたためだ。勘違いしているというよりは、自分なりの視点で取り上げているだけなのかもしれないが。
結論から言うと、上記メモにある
 「時間は決定的に相容れない二つのリアリティによって構成されている」
というのが、もっともしっくり来る。
 マクタガートが最初に言った内容は曖昧で、いろんな解釈を生んでしまう余地があった。しかし、彼が感じていた混乱は、多くの人に共感される内容で、その意味で本質的だった。そのため、多くの人が自分に引き寄せて、その混乱を解消しようと努力した、ということのようだ。
 マクタガートは、その混乱のことを、矛盾と呼んだ。Wikipediaでは、「矛盾もしくは説明するのに不足」と弱められている。ただ、どちらかというと、矛盾の方が近い。
 マクタガートは
 「出来事について、過去・現在・未来は、両立不可能かつ両立可能」
という矛盾がある、と言っている(上記の入不二氏のメモによる)。
 以下、出来事をeと略する。未来のあるeは、現在になり、過去になる。つまりeは未来にも、現在にも、過去にもある。これが両立可能という意味である。私の51歳の誕生日e51は現時点では、未来の出来事だが、今年の11月2日には現在になり、来年には過去になっている。この時間感覚、出来事の変化という感覚は、我々にとって確かな実感=リアリティがある。
 一方で、同じeが、未来と現在と過去に同時にあることはできない。今という時点では、どれかにしかなれない。これが両立不可能という意味である。
 もう少し私流に補足すると、私たちは現在しか観測できない。今にしか生きられない。いま観測している出来事eが、かつて未来にあったというのは空想に過ぎない。いま目の前にeがあるので、きっと未来なる所にあったものが、やってきたと勝手に空想しているに過ぎない。さらにはこれからeは過去になる、と言っても、それは私の記憶の中の話でしかない。この実在するのは、今しかないという感覚、これも確かな実感=リアリティである。

 川を流れる桃で喩える。川の流れを時間とする。川の上流にあった桃が、流れてきて、洗濯をしているおばあさんの目の前に現れて、放っておけば下流に流れていく。この、桃が上流にあった筈、目の前にある、下流にあるようになる筈、というのが、両立可能性である。
 一方で、おばあさんは目の前に現れた桃しか観測できないため、上流にあったはずとか、下流に流れた筈、というのは想像の世界でしかない。少なくとも目の前に桃がある時には、上流や下流には同じ桃は無い筈である。桃は一個しか無い。これが両立不可能性である。
 桃が一個しか無いというリアリティと、桃が上流・目の前・下流にある筈というリアリティは、どちらも強力である。
 時間なるものが実在する、というのを極端に拡張して述べると、上流世界と、目の前世界と、下流世界というのが存在する、ということである。これは空間に関しては矛盾を生じない。しかし、時間に関して言うと、未来世界と過去世界が存在する、ということである。
 SFのタイムマシンの話で出てくる、タイムパラドックスは同じことを言っている。もし過去世界が実在するなら、タイムマシンで過去に私が行って、私を殺すことができる。そうすると、私は存在しないことになるため、私は過去の私を殺せない。つまり矛盾を生じる。これは過去世界が実在するという前提が間違っている、という結論になる。
 しかし私たちは過去世界があるような気がしてならない。同じようにセワシくんがやってくる未来世界があるような気がしてならない。どうしようもないリアリティがある。過去の自分というのが実在する、ような気がする。強くそう思う。明日の自分が実在するような気がする。これも強く感じる。
 一方で、今しか無いという感じも厳然として強くある。過去や未来は頭の中の話だ、という声が強く聞こえる。感じられる。


 この話と、ジェフ・ホーキンスが述べていた人間の脳に関する仮説は、関連が深いと私は考える。(「考える脳 考えるコンピュータ」ジェフ・ホーキンス(2005))

彼は、大脳の新皮質の主要な機能は、経験したデータを蓄積して、未来を予測することだ、という仮説を提案している。生物にとって未来を予測するのは極めて重要な能力である。上から落ちてきた岩が自分に直撃する、ということを予測できないとペシャンコになって死んでしまう。死んだ仲間は、この世にいないので、死ななかった仲間、岩を避けられた生物が、我々の祖先になっている。
 つまり、生物にとって過去のデータをしっかり蓄積して、起こりうる未来を正確に予測することは大事だということである。私たちの新皮質はそれに特化した柔軟な能力を備えている、という仮説である。
 私たちにとって時間の存在がリアリティを持つのは、この新皮質の特性によると私は考える。
 同時に、過去は私たちの適当な記憶で構成されており、未来は予測の中にしかない、つまり確実性が低い。この事実も、私たちの脳に強く刻み込まれている。疑いもせずに過去や未来を信じると、大きなリスクを背負い、やがて死滅する。常に予測不可能な余地を残しておかないと、急変に耐えられない。これが、今しかない、と感じる私たちの強いリアリティの根拠だと思う。
 つまり、人間は生き残るために、時間という捉え方の重要性も十分に理解している。一方で、今しかないという捉え方、過去や未来は不確実という捉え方の重要性も理解している。この突き詰めると矛盾する二つの納得が、頭の中に混在してる。これがマクタガートの感じた矛盾の正体だと私は考える。


2015年7月5日日曜日

プラットフォームの構築

書名:「ザ・プラットフォームーIT企業はなぜ世界を変えるのか?」
著者:尾原 和啓
発行日:2015/6/10
発行:株式会社PLANETS

都立中央図書館に遊びに行った時に、新刊書の棚に見つけてめくってみたところ、思いのほか面白かったのでKindleで買った。プラットフォームという言葉に、どういう意味が託されているか、が良くわかる本だった。

発見はあまり多くなかった。しばらく前に報告書で書いたこと、考えていたことを再確認する内容だった。ただ収穫は多かった。特に具体例、彼が所属した内部から書かれている具体例が大変参考になった。iモード、リクルート、楽天などである。

プラットホームとはなんだろう。この本では以下のように定義されている。

「プラットフォームとは、個人や企業などのプレイヤーが参加することではじめて価値を持ち、また参加者が増えれば増えるほど価値が増幅する、主にIT企業が展開するインターネットサービスを指します。」

また、最近の特徴として
・参加のしやすさが格段に上がった
・範囲が拡大し、生活や社会に大きな影響を与えはじめた
があるとしている。

また、彼はプラットフォームと密接な関係にあることとして、プラットホームの運営者たちの共有価値観(Shared Value)があると言っている(私はビジョンと呼んでいた)。この本も彼の共有価値観(「ふむふむ」や「ワクワク」を生む「なぜ?」の共鳴)の一つの実現として書かれている。

私は今まで、プラットフォームとは実用的なものであって、多くの人に役立つアダプタのようなものだと考えていた。実際多くの人にとってプラットフォームの見え方はそういうものだろう。ただそれは中で紹介されていたTEDの講演(サイモン・シネック「優れたリーダーはどうやって行動を促すか」)におけるWhatの見方、皮相的な見方である。

プラットフォームにとって重要なのはその設計思想である。設計思想は製作者の共有価値観をコアとしている。

アップルの共有価値観はアップルの製品の設計思想のコアである。Googleの共有価値観はGoogleの各アプリやサービスの設計思想のコアである。

プラットフォームには一貫性が大事だ。プラットフォームを作る人、利用する人々はその一貫性を体得し、一貫性に基づく予測をして、手を加える、自分の目的に活用する。

一貫性が見失われた参考にすべき事例としてmixiが挙げられていた。(mixi側からの反論が聞きたいところだ)

共有価値観と設計との間には大きなギャップが存在する。戦略と戦術と言い換えてもいいかもしれない。たとえばmixiでは足あと機能は戦術の一つである。公開日記という日本独特の文化をベースに心理的なバリアを小さくして、ユーザをアクティブにステップアップさせていく仕組みが戦術である。twitterに影響を受け、その一貫性にほころびが生じた、という解説には説得力がある。

この本ではそういった様々な戦術について、具体的に書かれているのが興味深い。各社の共有価値観や戦略についてはある程度はネット調べれば出てくる。また非常に印象的に表出されるので我々の記憶にも残る。一方で共有価値観と、それぞれのアプリやサービスや製品の設計との間の関連性は中々表には出ない。

例えば、この今手元にあるiPod touchと言う製品も、たくさんの人が関わって作られている。私には、いかにもティム・クックの共有価値観が体現されているエッジの立った製品だなと思う。ジョブズのころのiPod touchのテイスト(丸いフレンドリーな、それでいて個性の強い。私は個人的にはジョブズ派)との違いが印象的だった。制作に携わる多くの人に、うまく共有価値観が伝わらないと、ティム・クックのiPod touchのような完成度の高い製品はできない。完成度と言うのは共有価値観の再現度という意味である。

サイモン・シネックのTEDの講演で、スペックをいくら謳っても人の心には何も届かない、という話が出てきた。Whyを伝えることが肝心である。そしてそれができる人は極めて数少ない。まぁそうだよなぁ。

この年齢の私にとって何が大事かというと、どれほど私にとって魅力的な、さらに多くの人の共感を得られる共有価値観を語れるかということだ。共有価値観に関しては、いろんな人に何度も何度も伝え、反芻して改善を繰り返していく必要がある、本当にその内容・表現で良いのかよくよく考える。再考する。共有価値観を言葉にするのもとても大事だ。

以下は私の共有価値観についての話だ。

私たちの毎日の生活の中には、不便な隙間がいっぱいある。みんなそんなもんだろうと思って生活している。例えば今消したこのエアコンも、まるで使い勝手は良くない。その他にも照明や寝具や場所の使い方や、とにかくいろいろな不便がたくさんある。それらの小さな、みんなが我慢している不便な点を補うところにバリューが生まれると考えている。

どれも小さいバリューなのでそんなにたくさんのお金は払えない。例えば私の家の中の片付けが多少まともになるからといって、月々3,000円のお金を払うだろうか。いや私は払わない。一個一個を取り出して見れば小さな不便であり、我慢すれば済むこと、または良くできる人ならば何とかしてしまっていることなのだ。

しかしみんなが片付けが上手でも、みんなが食材の使い方が上手でも、ゴミの出し方が上手なわけでもない。みんな何かしら苦手なことがあって、何かしら我慢をしている。それは匠に住宅改造してもらうような大掛かりなことをしなくても、多くの場合何とかなる。でも助けてくれる人はいないので、そのまま不便が不便のまま放置される。

その不便のいくつかを小さく解消して、私たちの生活のレベル、QOL(Quality of Life)を向上するところにこそ、新しいプラットフォームの存在価値がある。

もともと電気というものが、そういうものではなかったか。コンセントにプラグを差し込めば、どんな電気製品でも動くなんて、ものすごいプラットフォームだと思う。停電もしないし、電圧や周波数も安定しているので、メーカーも利用者も、ほとんど水道水のように意識せずに使えるプラットフォームである。

私がいま考えている共有価値観は
「生活のクオリティを共有し、その中で見出される隙間を丁寧に埋め、バリューが生まれる場を作る」
である。

新しいプラットフォームの構築に貢献したいと思う。かすかでも。


2015年7月2日木曜日

「忙しい」という言葉は私にとって主観的な意味を持たない

100kw氏の以下の設問が面白いので、私も考えてみた。
授業で、「時間を長く/短く感じる時について」「忙しいとはなにか」「テクノロジーは忙しさを軽減するか?」についてミニレポート出した。「忙しさとは何か。いつ忙しいと感じるのか、いつから忙しいと感じるようになったか?忙しいの対義語はなにか」ということについての考察してもらった。
— (@100kw) 2015, 7月 2

「忙しい」という言葉は私にとって主観的な意味をあまり持たない。

美味しいとか、悲しいとか、痛い、といった言葉が、それぞれに対応する私の主観、もしくは実感を思い出させるのに対して、「忙しい」には対応する実感が無い。この言葉は私にとって、むしろ他人とのコミュニケーションのための共通の符号として意味を持つ。であるにも関わらず、実は「忙しい」と伝えた相手に対して、これまた私の具体的な状態をあまり伝えない言葉でもある。ただ「不問」とか「ちょっと待ってくれ」という程度の、コミュニケーションの遮断・遅延を意味する言葉である。

さらに、この「忙しい」という言葉の面白いのは、そのように実感が薄いにも関わらず、私の状態を表す言葉として使われているという点だ。

似ているがちょっと違う言葉に「焦っている」というのがある。ただし、焦りには対応する主観や経験がある。焦ることはある。ただ焦っている時には、ほとんどの場合気づいておらず、後から振り返って、焦っていたことに気づく。そのため「焦った」と過去形で口から出ることが一般である。「いま私は焦っている」と言える人は焦っていない。

同じような言葉に「怒り」がある。怒っていることはあるが、その時に自分が怒っていると気づくことはほとんどなく、むしろ気づいたことによって、怒りが収まる場合が多い。収まった後には、諦めとか、むなしさといった別の状態に変わる。恐らく私は、抑えようのない怒り、といった本物に出会わずに済んでいる幸せ者だということだろう。

さて、もとに戻って、「忙しい」の正体について考察してみよう。

私が忙しい、と言っている時、もしくは言い訳している時には、処理速度の不足を通知している時だ。目の前にこなすべき(と感じている)タスクがあり、いずれも遅延を許されない(ように感じてしまっている)時に、私という人間の処理がオーバーフローになっていることを、周りの人物に通知する意味合いで言っている。

しかし上述したように、その時私は「忙しい」と感じているわけではない。こなすべき処理を継続している。一つ一つ書類の山を崩している。興味の湧くタスクであれば、やりがいを感じている場合もある。また、イヤイヤながら機械となって処理をしている場合もある。少なくとも、処理速度が落ちて停滞していたり、放置している状態ではない。

処理速度が落ちていたり、放置している時に「忙しい」とは言わない。「ちょっと無理」「すいません」「勘弁して」「限界です」「やーめた」というのだ、そういう時には。

忙しいという状態は、自分にとってのタスクの価値や、こなしている時の自分の主観とは関係ない。それぞれのタスクには誰かしらクライアントがいて、そのクライアントが要求している期限に対して、私の処理速度ではキツキツであるということを意味する。であるから、他人とのコミュニケーション用の言葉、ということになる。

つまり、クライアントに対して、さらには、処理を分担してもらうべき同僚に対して、さらには、私の健康状態や家事の分担に関して配慮してもらうべく、家族に対して、私の状態を伝える言葉である。

もちろん、私は自分の肉体的、また精神的なリソースを考慮して言っている。毎晩徹夜すれば、または休憩時間を減らせば、短期的にはこなせるかもしれないが、そうするとその後に大きなパフォーマンス低下が生じるため、結果的に平均的な処理速度は低下する。なので、適宜休憩や適切な睡眠をとって、自分のパフォーマンスを一定以下に落とさないようにしても、期限的に厳しいという場合に「忙しい」と言う。

このように考えているため、私の眼からは誤用に思える使い方をする人がいる。例えば、自分の趣味や楽しみを夢中になってこなしている時に、「忙しい」という人だ。それ、忙しいっていうのかな、と思う。あれは大人のジョークなのだろうか。

忙しいという言葉を使い始めたのは、クライアントから期限のあるタスクを多数与えられるようになってからである。学生時代にもクライアントはいたが、社会人になってから明らかにクライアントは増えて、期限に対する厳しさも増した。

上述したように、忙しさは処理速度と期限との関係なので、期限が緩ければ、忙しい状態にはなりづらい。期限が厳しく、処理速度の限界に近ければ近いほど、忙しいになりやすい。

こういった考え方は私が工学系、それも計算機科学を専門とするからだろうか? 多くの人は「忙しさ」を実感としてもっているのだろうか?

忙しさの対義語は、忙しくない、である。暇な時もそうだろうし、余裕がある時もそうだろう。単に私の抱えているタスクと、処理との関係を表している。

時間の経過を短く、また長く感じることはある。これは主観である。私の世界の話だ。これと忙しさとは、私にとっては関係が無い。忙しさは、私の世界の話では無いからだ。これは、いわゆる「現実」、他人と共有する約束事の世界の状態である。

テクノロジーは忙しさを軽減するか、という設問に対して、処理効率化という観点からは私は無関係、と考える。まず、忙しさは単にタスクと処理能力の関係であり、これは例えばコンピュータのCPUが速くなったからといって、コンピュータが暇になるわけではないのと同じである。

忙しさを減ずるには、タスク量をコントロールするしかない。あまりに忙しいと、上述した私のリソースは限界に達するため、たとえ多くのクライアントに感謝されても、多額の収入を得ても、私の人生にとって意味をなさなくなるため、タスク量をコントロールするしかない。

では、さらに未来を想定して、タスクを減らすのに、コントロールするのに、テクノロジーは役立つだろうか。

例えば企業にとって、職員が忙しすぎて身体や精神を損傷したのでは、企業全体としてのパフォーマンスは下がってしまう。喩えれば、右手に働かせすぎて、右手が壊れてしまう人体、といった状態が現在の企業である。いまの企業は上手にコントロールできずにいる。この状態の改善のため、センサーを職員全員に付けてもらい、職員や所属部署の状態を可視化することで、「忙しさ」そのものを制御しようという取り組みが始まっている。

おそらく、そのジョージ・オーウェル的未来では、朝、職場に入ろうとすると、忙しさが限界を超えたため、IDカードが無効になっていて、仕事が自動的に同僚に割り振られている、といったことになっているだろう。強制的に家や、病院に送られて休憩することになるだろう。

もしくは、忙しさ予測エンジンが動いていて、新しいタスクを割り振れる量が、職員それぞれに決まっていて、それを超えてメールを送ることすらできない、といったことになるかもしれない。

ただ、そこまで行ってしまうと、私は次のステップが待っているように思う。入社から退社までの職員のパフォーマンスを予測し、いかに当該企業にとって最適に活用すべきか、といった最適化プログラムが走り始める可能性があるということだ。3年間の期間雇用であるとすれば、その後、その本人がどうなろうと、期限内に企業にとって最大の貢献を与えるように使い切る、といった発想は決して悪夢ではない。

おそらく、自分自身の人生を守るために、私達自身もテクノロジーの力に頼って、それら使い捨てへの対策を講じることになるだろう。やはりイタチごっこということだ。

さて、ここまで考えてきて思うのは、クライアントからの要請の無い人生というのも味気ないものだ、ということだ。顧客であれ、生徒であれ、上司であれ、親であれ、妻であれ、娘であれ、見ず知らずの他人であれ、誰かが必要としていることを、自分の力でなんとかする、手助けをする、というのは社会的動物である我々にとって、とても大きな生きがいである。

それは、QOL(人生のクオリティ)の主要因である。つまり、忙しさというのは、私達が求めているものでもある、ということだ。そのバランスを決めるのは、テクノロジーではなく、私達自身である。






2015年2月18日水曜日

Processing で Philips hue を制御

Processingからhueを制御しようとして、PUTがうまくできずに困った。
結局、以下のように直接 Java で書けば問題なく動いた。

以下の 192.168.11.20 はhueブリッジのアドレス
newdeveloperは登録したユーザ名とする。
ユーザ名の登録の仕方は、hue api等で検索すれば出てくる。
例えば以下のサイトを参照。
http://blog.udcp.net/2013/10/09/philips-hue-api/

import processing.net.*;
import java.net.URL;
import java.net.HttpURLConnection;
import java.io.*;

Client c;
String data;
JSONObject json;
Boolean onoff;

void setup() {
  size(300, 300);
  onoff = true;

}

void draw() {
  if (onoff) {
    background(255);
    textSize(32); textAlign(CENTER); fill(0); text("ON", width/2, height/2);
  } else {
    background(0);
    textSize(32); textAlign(CENTER); fill(255); text("OFF", width/2, height/2);  
  }
};

void mouseReleased() {
  onoff = !onoff;
  lightSwitch(1, onoff);
  lightSwitch(2, onoff);
  lightSwitch(3, onoff);
};

void lightSwitch(int lightnum, Boolean onoff) {
  json = new JSONObject();
  json.setBoolean("on", onoff);
  sendPUT(lightnum, json);
};

void sendPUT(int num, JSONObject json) {
  try {
    URL url = new URL("http://192.168.11.20/api/newdeveloper/lights/"+num+"/state");
    HttpURLConnection httpCon = (HttpURLConnection) url.openConnection();
    httpCon.setDoOutput(true);
    httpCon.setRequestMethod("PUT");
    OutputStreamWriter out = new OutputStreamWriter(
      httpCon.getOutputStream());
    out.write(json.toString()+"\r\n");
    out.close();
    httpCon.getInputStream();
  } catch (Exception e) {
  }
};

2015年2月5日木曜日

「融けるデザイン」を読了

「融けるデザイン」(渡邊恵太)を読み終えた。面白かった。
http://www.bnn.co.jp/books/7305/

内容の8割ぐらいは既知、1割ほど新味、1割ほど懐疑・不明、という印象だ。だから、かなりレベルが高い。最近私は、読書では、この2割ぐらいの新味&懐疑・不明が、いい塩梅ではないか、と思っている。全部既知、というかスルスルと中に入ってくるようだと面白くない。新鮮さが無いし、刺激的でもない。一方で、新しいこと、不明点が多すぎると、ちっとも読めずに、苦労する。まだ、自分がそのレベルに到達していない、とか、そもそも変なこと、もしくは時代を先取りしすぎたことが書かれている、ということで、時が熟していない。それを難読するのもまた面白くはあるが。知的トレーニングとしては、この2割ぐらいのノベルティがいい。

渡邊氏の仕事はずっとウォッチしてきたので、最後のLiveSurface以外は知っていた。また背後にある考えも、それなりに理解してきたので、新味がない。全体としては、そういうことになるんだろうな、と理解した。またノーマン、ギブソン、ワイザーらの話や、Macintosh、iPhoneについても、ずっと読み、体験し、考えてきたことなので、その通りだな、という印象である。もしくは多少の異論はあるにしても、HCI研究者としては常識的な内容を、見通しの良い日本語で的確に整理した、と捉えるべきかもしれない。

新味を感じて面白かったのは、4章と5章で、情報の道具化、環境化を論じている箇所だ。ちょうど今、コネクテッドホーム、家庭向けIoTの可能性について、いろいろ作ったり、実験したり、調査したりしていて、それと呼応する内容だったので、膝を打った。何度も。そうそう、という感じだ。叩きすぎて膝が痛いほど。

インターネットに接続されることで、私たちの身の回りの道具や環境が、全て繋がった、融け合った状態になりつつある。そこには、つながりの悪い「モッサリ」した部分も当然含んで、しかし、ある部分は「サクサク」と、一切の抵抗無く世界の裏側まで貫いてしまうような接続性が担保されつつある。

そのため旧来の、無駄に完成度が高くなっていたジョイントの一部は、不要になる可能性が出てきている。それは特にエンジニアリング、工学の分野で多い。一種のルール無用が生じている。単位が消えてしまう、というのもその話だ。もっと身体に近いところで、別の言語化がなされるようになり、それが、そのまま適切にコピー&ペーストできるようになる。

例えば、暑さ・寒さとか、湿度とかいった概念も、もっと情緒に近いレベルで、より細やかに表現できるようになるのではないか、と思う。15度といっても、それは人間にとってのクオリティを適切に表せていない。もっと使える表現、使える記憶方式、が実現できる。「あの時の南軽井沢の朝」というような。

6章、7章の、デザインの現象学、メディア設計からインターフェイスへ、は、まだ始まったばかり、という印象である。書いてある内容はわかるが、設計論としては具体性というか、リアリティが不足している。これからの活動に期待したい。

一方で、注意深く書かれてはいるが、タンジブル関連の記述に、若干いじわるさを感じた。TUI自体を攻撃しているわけではなく、「モノ」や「物理的な対象」に考えが縛られることを警戒しているのだが。私の理解では、人間にとって、生まれた時から制約・束縛として付き合い続けた、さらには進化の過程で大昔から馴染んできた、身体と物理的な環境とのインタラクションにおけるインバリアントは、何を考える上でも極めて重要な制約条件なのだ、ということだと思う。さらに、その強固な持続性、一貫性は、たとえ多くが錯覚であっても、強い「安心感」「やすらぎ」の根拠となっている、というのも重要な点だと思う。

今後、テクノロジーはどんどん進化するだろうが、この安心感、やすらぎがどのように生まれるのか、は十分に理解し、活用すべきだろう。触覚も視覚と同じく、そのエッジに様々な見えが集約されている。聴覚や嗅覚もしかりだ。それら全てを包含して、新しいデザインの現象学が生まれるのだろうと考える。

いずれにしろ、IoTを単に、センサネットワークのようなものと思っている、日本のエンジニア・デザイナには、ぜひ本書を通読して、次のステップへ進んでいただきたい。これを読まずにIoTを語るエンジニアを私は信じない。



2015年2月2日月曜日

第2回 おうちハック発表会 参加報告

会議名:第2回 おうちハック発表会
日時:2015年2月1日(日)14:00-17:00
会場:GARAGE秋葉原  (http://garage-working.com/

第1回は技術評論社のサイトに記事あり。

概要:

SONY CSLの大和田氏と、NISTの湯村氏が中心となって活動している「おうちハック発表会」の第2回に参加した。最初の凹氏の講演が「おうちハック」の典型例を代表している、と言って良いだろう。自分の部屋・家をガジェットや自作の装置でハックした人たちの発表会である。発表者はインターネットでのハンドル名(ニックネーム)で紹介されたので、多くの発表者の本名は不明である(名刺交換した人以外)。

感想:

・密度の濃い2時間であった。大変参考になった。
・「実際の生活に用いている」というのが最高に良いポイントだ。素晴らしい。
・特に、最初の凹氏の講演は深みもあった。
・なおデザインという点からすると、もう一歩と感じた。多摩美大情報デザインコースとかとコラボしたら面白いだろう。

基調講演

(1) 基調講演「ハッピーおうちハッキング」 

最初に基調講演として凹(へこみ)氏による「ハッピーおうちハッキング」が30分枠で紹介された。
紹介された内容の多くは既に以下のサイトでブログとして公開されている。

以下にメモを記す。
・おうちハック=住まいを面白く、便利にするものを作ること、考える事
・最初は勉強と趣味を兼ねて始めた。やってみると便利になった。モティベーションが維持された。
・なんといっても、他人に自慢できる、他人にもわかりやすい、というのがモティベーション維持に大きい
・個人として本当に便利になったか、という視点で、ビジネスは無視してやってきた。
・照明(hue)を、動体センサ(WeMo)で制御している
・Netatmo(環境センサ)やiRemoconがある
・Bluetoothマイクで玄関でも声が拾える。音声認識のため。
・宅内にnode.jsが走っているサーバを置いている。サーバでコマンド解釈・発行を行っている。
・node.jsはけっこうゴリゴリハードコーディングしている。
・ネット対応の家電、赤外線リモコン対応、タップなどで家電制御
・プロジェクタもリモコンで制御
・HDMI切替器もリモコンで制御
・「プロジェクタつけて」というと、「プロジェクタをつけます」と復唱してオンにしてくれる。
・「プレステでトルネをつけて」というと、「トルネを起動します」と復唱して付けてくれる。
・トルネは、リモコンの右を3回、○を1回、スタートボタン、といった操作を順番にコマンド発行している。
・Pebble(腕時計型装置)からも制御できる
・IFTTTでサービス連携している。アクション側はメールを送って、メールのサブジェクトを解釈している。
・GitHubにソースを上げているので、参照
・実際に生活に使ってみると、便利な面もあるけど、面倒も多い
・○決まった流れ、ルーチンは楽に出来る
・○ベッドでも、どこでも操作できるのは便利
・○自動通知は面白い
・×(A)自動制御には誤動作がつきもの。勝手に電気が消えたり、夜中に何かを人感センサが検知したりする
・×(B)オンになるまでに時間がかかる制御があって不便。例えば、トイレは人感センサを使っているが、反応が遅い。
・×(C)メンテが面倒くさい。システム更新や、機器追加など。
・改善方法:
・(A) 半自動化(後述)
・(B)トリガの最適化(人間は許容できる時間に限界がある)
・(C) 色んな家があるので統一化は無理、UIの工夫でも限界あり。
・A:半自動化:トリガに対して、候補を表示して、選択させる。
・例えば、温度低下を検知したら、エアコンONなどのアクションカードを表示し、選ばせる。
・また帰ってきたら、ゲームとか照明とかを表示
・出勤時も同様
・要するにGoogle Nowのパクリ
・Moto 360上にAndroid Wearで実装してみた
・B:トリガの見直し
・動体検知は遅いので、リードスイッチでドア開閉で検知させた
・ドア開閉センサにはTWE-Liteを使った。
・おうちハックAdvent Calendarが役に立った。
・ボタン電池で3年ほど持つので十分
・「賢いスイッチ」をばらまくのが良い。
・同じ機構でどこでもリモコンを作った。ぶっちゃけ一番便利
・C:メンテ面倒に対して、自動化を検討
・今はプログラムでやっている。最も柔軟。
・IFTTTはシンプルでわかりやすい。しかし複雑なルール記述は難しい。
・ビジュアルプログラミングはいいとこ取りで良いようにも思うが、メンテはやはり大変では。
・そこで「日々の暮らしから自動でルール作り」をすることを考えた
・例えば、寒く感じたら→暖房、とか、家を出る→電気を消す、とか、布団に入るまでに電気を消す、といったアクションはセンサとトリガーに対して、自動化が可能
・自動化候補が出たら、システムからユーザに問合せて、OKだったら、ルール化する
・これもGoogle Nowのパクリ(笑)
・まとめ:
・考えるのも作るのも楽しい。わかりやすく、面白い。モティベーション維持しやすい。
・趣味なので、もうからなくていいというのが良い。

QA:
Q 暖房(熱)・モーターの類を制御しているか?
A やっていない。もしやるとしても、メーカーのインタフェースを使う。特に、ヒーターとかは危険だ。ハックしない。
Q 音声認識では、TVの声などで誤認識がある。どうやっているのか?
A 誤認識は多い。良いマイク、例えばKinectの指向性マイクを使う、といった手しか思いつかない。
Q お客さんが来た時はどうしているのか?
A お客さんモードを用意している。デモモードのようなもの。
Q 電気代に変化は?
A おうちハック前後で電気代は変わらなかった。
Q SONY MESHの利用は考えているか?
A すでにindiegogoで投資した。納品されたら使う予定。
C しかしMESHはLED、ボタン、加速度センサしかデフォルトは無いので、GPIOが多数必要だろう
A たしかに
Q おうちハック後に、人間観察みたいなことは変わったか?
A 実家に帰った時に、家電がたくさんでハックできるな、と思った。ただしレガシー機器が多く、難しい。
Q 音声認識は何を使っているのか?
A juliusとwebスピーチAPIである。webスピーチAPIが楽だ。
Q モノが増えていくと管理が面倒では?
A まだラック一杯程度で溢れていない。
Q 賃貸だと、釘が打てないなどの改造上の制約があるが
A 気をつけている。Kinectは一脚上に乗せるなどしている。
Q センサなどの配線、固定が面倒では
A 壁美人というホッチキスで重たいものを固定できる治具があり、便利。痕が残らない。
Q 赤外線制御の課題として、フィードバックが無く、誤制御の結果が分からない問題へは何か対策しているか?
A 1秒おきにコマンドを送るなど、確実に制御できるプロセスを試行錯誤で決めている。音を出すといったフィードバックを考えた方が良いだろう。

ライトニングトーク


その後、ライトニングトークとして、「IoF(Internet of Furo)」「おうちで野菜」「ルンバを制御」「mbed+Felica+RasPiで消し忘れチェック」「やまびこ」「未来のティッシュ箱」「BUTABAKO」「Energy Design Competition」「おうちハックAdvent Calendar」が8分づつ発表された。
各発表について概要を記す。

(2) IoF(Internet of Furo) 

・ギークハウス品川というシェアハウスに住んでいる。
・プログラマなどIT系の人が集まったシェアハウスである。
・共用ということで、トイレや食堂は問題ないが、風呂が1つしか無いのが問題
・風呂までの廊下や階段が寒いので、見に行って空いていないと、往復が無駄になる
・誰かが入っていることを確認できるシステムを作った。
・各自のスマホでのBluetoothを検出して、Raspberry Piでfrobeeconというソフトでslackに投稿するシステムだ。
・風呂場と脱衣所に、BLE対応のBlueetoothアダプタを備えた、Raspberry Piを設置。
・スマホ(iPhone)持参で風呂に行き、装置の上に置くと、「○○さんが風呂にいると思う」と投稿がなされる。
・取り外すと「脱衣所にいると思う」と投稿がなされる。
・シェアハウスはハックすべき課題が多い。
・シェアハウスだと、課題にみんなで立ち向かう、という感じが良い。
・Raspberry Piは濡れると困るので防水容器に入れているが、発熱が心配。Edisonの方が発熱少ないというフロアコメント

(3) おうちで野菜 

・ここ3年で8kg太った。野菜が必要。近所のファミレスで「らりるレタス」が食べられる。おいしい。
・自分でも作ろうと思い、LED栽培キット(9800円)を購入。40日でサラダが食べられる、というふれこみ。
・監視システムを自作した。openCV + rubyでカメラを起動し撮影する。カメラ起動後3秒間は撮影できない
という問題があり、タイマーを入れている。
・40日たったが未だに収穫できない。原因は温度。エアコンが無い寒い部屋なので。
・温度管理システムが必要か。

(4) ルンバを改造

・GOMIHIROIDO氏
・ルンバは誰でも改造できる。APIが公開されている。
・センサもモータも、スピーカも制御可能
・ルンバにキーボードをつないでみた。演奏が可能。
・MIDIは演奏できないので、MIDIを単音に変換して、音信号として出している。
・ケーブル(シリアル接続)が邪魔なので、Androidで制御できるようにした。
・もともとARをやっていたので、ルンバの上の模様をマーカーとして、初音ミクが踊れるようにした。
・Javaの制御ライブラリを公開中

(5) mbed+Felica+RasPiで消し忘れチェック 

・消し忘れ、は、消したことを覚えていないのが問題である。自動で消してくれなくてもいい。
・チェックシステムを作成
・チェックすべきところに、Felicaをはりつけて、Felicaリーダーとmbedで自作した装置で、チェックするようにした。
・WIFIを使っているので、充電が頻繁という課題あり。Androidではどうか?、との声がフロアからあった。
・ガスは電磁センサでチェック

(6) やまびこ 

・ユカイ工学の岡田です
・Apple HomeKitとECHONETをつなぐYamabikoというアダプタを作った
・小さなボード型装置で、相互変換をする
・神奈川工科大学からSDKを近日リリース予定
・変換ボードはAppleの認証が必要だが、特定のチップを搭載する義務など、なかなか大変。しかし、達成するつもり。
・HomeKit側はすべてカバー、ECHONET側は実際に機器が販売されているもののみ対応

(7) 未来のティッシュ箱 

・jojonokiです。UIエンジニアです。
・光るティッシュ箱を作った。3Dプリンタで外形等を製作、ArduinoとLED、サーボモータで動作
・ティッシュを一枚取りだすとキラキラと光り、取ってがふさがって、すぐには2枚目が取りだせないようになる。
・ティッシュの取りだしは、加速度センサで検知
・3Dプリンタ便利、従来は、アイデアから100円ショップ、加工、モノ、という流れだったが、3Dプリンタがあれば、アイデアからモノに直結できる。
・品質は実のところ、100円ショップに負けるが、ドンピシャで欲しいものが見つかるというのがうれしい。
・どんどん「ワタシ」と「イエ」と「ソト」がつながる世界が来ている。
・肩書にこだわらず、いろんなこと、スキルの幅が広がる。一方で学習コストが下がっている。

(8) ヨメ召喚

・スマホアクセサリを作って売っている。ウインクルという会社。
・家のサービスを考えた。結論として、家はアニメを見る場所である、ということになった。
・テレブーというエージェントを作った。テレブーという豚のぬいぐるみと会話して好きなテレビが見れる。
・IoTの未来として、ロボットと生活する、というようなのが謳われることが多い
・しかし、私はロボットとなんか暮らしたくない。
・欲しいのはヨメである。
・だからヨメを召喚する。
・フォグスクリーンにプロジェクションする
・フォグスクリーンは加湿機を改造した。
・風呂の湯気を使う装置も開発した。
・ポリッドスクリーンでも作った。アクリルケースで覆うと、すごくかっこいい。
・将来は、ご飯も作ってくれるようにしたい。
・DMM.akibaで活動中。デモ可能

(9) Energy Design Competition 

・SONY CSL 大和田です。
・スマートメータのBルートの見える化コンテストをやっている
・明日、発表予定。(以下のサイトに企画と結果がまとめられている)
・ハッカソンをたくさんやってきたが、おもちゃの域を脱しないのが課題
・この、おうちハックは、実際に自分で使っているので、うまくいっている
・今後、ハッカソンとデザインソンを融合するのが必要

(10) おうちハックAdvent Calendar 

・NICT 湯村です
・Advent Calendarというのは、クリスマス前の1か月を楽しみながら過ごすための、カレンダーである
・最近、これをもとに、ハッカーが各自ブログをリレーして、カレンダー形式にまとめるのが流行っている。
・おうちハックでもやってみた。
・25日全部埋まった。すばらしい。
・すべて紹介する。


以上